「深夜特3インド・ネパール」「深夜特急4シルクロード」
      「深夜特急5トルコ・ギリシャ地中海」
      「深夜特急6南ヨーロッパ・ロンドン」


                       沢木耕太郎著 新潮文庫 




 旅も続けていくうちに日常になるらしい。最初は、すべてのことが珍しく興奮した旅も、それが日常となってしまうと「どのような経験をしても、これは以前にどこかで経験したことがあると感じてしまう」のだ。勢いで飛び出した日常の、その向こう側には、やっぱり日常が広がっている。著者は旅慣れた、もっといえば旅ずれした雰囲気をまといながら、ロンドンまで向かっている。

 「旅は人生に似ている」と著者はいう。「どちらも何かを失うことなしに前に進むことはできない…」。ただ、と勝手に思うのは、旅の寿命を迎えて終えたということは、ひとつの人生を体験できたということではないか。だからこそ、人は大きな旅を終えたときに、ちょっと違う心持ちになって帰ってくるのかもしれない。

 本書の前半部分で、著者は新しい体験をし「またひとつ自由になれたような」気になっていく。しかし、オランダ人の若者が、全財産であるはずの硬貨6枚を、物乞いの子ども2人と自分を合わせて三等分に分け合っている行動を見て、「一気に自由になれたように」思う。自分の行動に理由はいらない。やりたいからやり、やりたくないからやらない。その結果、死ぬことがあれば、「そのまま死んでいけばいい」。そのシンプルなことが、「自由」なのだと著者は知る。このシンプルさは、結構難しい。気が付けば、私の日常は、なんと「理由」や「言い訳」の多いことか。それらをすべて削除してしまえば、さわやかなシンプルライフになるとしても。

 旅という擬似人生を一度生きて、全体を見渡してみれば、自分がたくさんの小さいことに捉われすぎているかに気が付くのだろう。人生全体から見ればちっぽけなことが、その時は重大事に思われてしまうけれど、ちょっと過去を振り返っただけでも、「あのとき、どうしてあんなに悩んでいたんだっけ」と思えることはいくつもある。人生の俯瞰図一枚で、人は結構強くなれる。



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